2015年10月29日木曜日

高齢者に多い皮膚疾患と生活指導 ~実践家庭医塾~

今月も、臨床研修医がいわきで頑張ってくれた。 集大成のプレゼンの場。 それが実践家庭医塾!



家庭医も多くお目にかかるコモンな皮膚の問題にどうアプローチするか?
投薬にこだわらず、予防的な生活習慣の指導など、まさに痒いところに手が届くような痒みへのケアについて解りやすくまとめてくれた。
それだけでも充分ためになるプレゼンであったが、そこで終わらない(終われない)のが実践家庭医塾!
さらに、自身の経験や患者さんとの関わりを通して、皮膚病という疾患のケアという視点だけでは完結しない、患者中心の医療とは何か?を深く探ることに果敢に挑んでくれた。

 「疾患を抱えながらも、患者さんがそれを受容して笑顔になれるようにアプローチしたい」 

彼の最終メッセージに、いわきでの学びが集約されているようだ。


いわきで頑張ったあとには、必ずこういうのが ご褒美についてきます!

2015年10月18日日曜日

山河に育まれる家庭医 ~第106回 FaMReF@只見~


講座月例の家庭医療レジデント・フォーラム
県内各地の診療・教育の拠点持ち回りで開催されるわけだが、いわきから時間的にも距離的にも最も遠く風土も異なるのは・・・只見である。
せっかくの長旅なので、前泊。
会津磐梯山で有名な猪苗代も、会津若松をも素通りし、一気に奥会津へ突入!


只見川沿いの川辺の文化を感じながらクネクネ南下していくと、水清き自然首都「只見」へ


只見川と合流する伊南川の支流の中で釣り人に人気が高い澄んだ水の黒谷川のほとりを散策すると、只見を肌で感じることができる。


そして、明日の会場、朝日診療所。
新しい建物とはいえ、風雪に耐え、毎年越冬している風格がある。


夜には、地元のファカルティ、レジデントらが前夜祭的なウェルカム・パーティを企画してくれた。
会場は、これまで多くの講座メンバーや、医学生、臨床研修医、国内外からのゲストの舌を唸らせ、胃袋を満たしてきた居酒屋「もとじ」
残念ながら、今月で閉店とのこと。
名物「ユビヌキ(大動脈)」もひとまず食べ納めさせていただいた。


只見町の朝は「牧場の朝♫」の町内放送で始まる。
高地トレーニングを兼ねた朝ランも とても快適である。


さて、ようやく本題のFaMReF開始

本日、町内で駅伝大会が開催されるなどご多忙の中、目黒吉久町長さんがご挨拶に駆けつけてくださった。当講座の診療・教育活動に深いご理解とご協力をいただきありがたい限りである。

本日の研修医の振り返りでは、様々なテーマが挙がり、議論が膨らんだ。

外国語の名著をいかに活用しやすい形で日本語翻訳するか?
文化や背景が異なると、直訳しても著者の意図は理解できないことは多いが、過度に意訳してしまっても正確には伝わらない。
語学力だけでは成し得ない、患者中心の医療の方法を深く理解した者にしかできないプロジェクトであることを再認識し、レジデントはその責任と役割を自覚した様子だった。


診療外に医療相談を受けたらどうするか?
それは、職員かも知れないし、家族かも知れないし、知人や行政の方かもしれない。
個人的には、勤務中であろうと、プライベートであろうと、医療資源として気軽に利用してもらいたいという思いが強い。
しかしながら、それが通常診療の妨げになってはいけないし、プライベートを侵食するものになっても困る。
だから「勤務以外の医療相談は一切応じない」と決めてしまうという方法もあるだろう。
でもそれでは、地域に生き、地域で働くことができる医師の育成に携わる者としては、とても寂しく物足りなく感じる。
当講座で学ぶレジデントには、そこのところをバランスよく対応できる人材に育ってほしいと強く思う。


多忙の中、どうやって振り返りの機会を確保するか?
人材が潤沢でない現状の切実な問い。
しかし、そんな中でも逞しく学び育っている先輩・同僚からの具体的なアドバイスの数々は、きっとマニュアルのない世界なんだろうと思う。
「忙しい」を言い訳にしない質の高い診療・教育の場を構築していけるように、現場で自身のゼンマイのネジを巻いて無い知恵を絞ってみよう。

患者本人への癌告知を拒む家族・・・
未だ日本では多いシチュエーション。
もちろん、必ずしも告知するのが正しいとは限らないけれど、主治医として告知がケアに有用と判断される場合に、そのことを上手に家族に伝え、理解していただけるかは根気強い関わりに尽きると思う。
そして、もしも どうしても告知に至らない場合でも、個々の条件下で可能な限り患者中心であるように、あきらめずにマネジメントを続けていくことが、私たちに求められることなのだろう。


それにしても、会場の窓から見える景色には、いちいち癒される。
まるで切り取った絵画のようである。
そして、差し入れのトマト!
形がいびつで売り物にないもの ということだが、とても甘くてシャリッという歯ごたえがたまらない。


本日のメインの振り返りのテーマは、高齢者総合的機能評価(Comprehensive Geriatric Assessment:CGA)をいかに診療に活かすか?というもの。
ともすれば、CGAを行うことが目的になってしまいがちだが、CGAがケアの内容を決定するための有効な判断材料になり、その結果が良いものになってこそ意味がある。
現場での疑問をもとに、CGA自体を批判的に吟味することも重要であろうという議論にまで至った。
いずれにしても、高齢者を総合的に機能評価してみよう! という発想は、高齢者のケアにおいて絶対に必要なプロセスであると思う。そこには必ず多職種連携への道筋が付帯してくるし、疾患への単なる医学的介入だけでは決して太刀打ちできない近道のない世界が存在することを教えてくれるから・・・

診療所から見える浅草岳

さて、一泊だけでは堪能しきれない只見。
参加者の安全な移動を考慮して冬場のFaMReF開催は自粛されているが、個人的に今度は 冬(豪雪)の只見を訪れてみたい。
(丸坊主なので実際は無い)後ろ髪を引かれながら只見をあとにした。

2015年10月4日日曜日

連携して取り組む ケアの質の向上 ~第5回 日本プライマリ・ケア連合学会 東北ブロック支部 学術集会 in ふくしま~



2015926日・27日の2日間
5 日本プライマリ・ケア連合学会 東北ブロック支部 学術集会が、福島市で開催されました。
まだまだ歴史が浅く、来年度でようやく東北6県ひとまわりとなる小ぢんまりとした地方会ですが、今回は初の試みである一般公開講座も企画され、その参加者も含めると過去最大の200名規模の催しとなりました。
西日本や首都圏・北海道等に比べると、東北地方でのプライマリ・ケアにおける診療・教育・研究は、質・量ともに発展途上ではあるけれど、それだけに敢えて東北の地でこの分野で活動を続けている人間は、良い意味で変人で熱くて萌えている気がします。

さて、今回のメインテーマは「連携して取り組む ケアの質の向上」ということで、多職種連携をテーマにしたシンポジウムが用意されました。
シンポジウム「のぞいてみよう、他職種のアタマの中 〜考え方の違いをケアに活かす〜」
多職種が円滑に連携していくためには、まず他職種の方の思考回路を理解しつつ、互いの発想の違いを活用して、単職種では見出しにくい突破口を探す必要があるだろう。
ということで、このシンポジウムは、各シンポジストが、自職種が何をどうアセスメントしているかを解説し、他職種への要望を伝えていく形式で進められました。
医師の視点だけでは気付かない多くの示唆を与えていただけて、とても学びが多かったです。
特に印象的だったのは、認知症のケアにおいて、ただ単に介護保険で利用できるサービスを提供するだけでなく、認知症をきっかけに、患者さん本人の能力や役割を見直し、家族機能を再構築するチャンスと捉えるという地域包括支援センターの方からのメッセージでした。
ところで、多職種連携における医師の役割とは何でしょう?
もちろん、医師には「医学的追求」という役割があります。
しかし、実際のケアにおいては、その「医学」を「医療」に変換しなければなりません。
武見太郎氏の『医療とは医学の社会的適応である』という名言のとおり、医師には「医学的追求」だけでなく、患者が置かれた個別の家族・背景などの社会的事情をも考慮して「医学を社会的に適応させる(ほどよい医療を提供する)」という大切な役割があります。
ここには、常に不確実性が付きまとう中での総合的な判断力が求められ、マニュアルやガイドライン通りにやれば良い単純作業ではないので、医師は何年やっても全く飽きませんし、いつまで経っても学びと反省の日々です。

熱い集会は懇親会でヒートアップしていきます。
司会を仰せつかったものの、迷司会で困ったものでしたが、皆さん勝手に盛り上がっていただけたので、良しとしましょう。
その証拠に、わたくしも含め、どう見ても若手とは言えない人間も多数若手の二次会に参戦し、プライマリ・ケアの教育への熱い想いを共有し、「東北でプライマリ・ケアを充実させるためには?」という作戦会議をしたりしていました。






2日目は、市民向けの一般公開講座の設営と司会を仰せつかりました。
「あなたやあなたの家族が病気になったらどうしますか」
福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座 主任 葛西龍樹 教授から、プライマリ・ケアの教育が立ち遅れた日本の歴史と現状を踏まえ、総合診療専門医の紹介、医療の賢い利用の仕方などが解説され、身近でありがちなエピソードを交えた分かりやすい説明に、方々で、時に「ある、ある」 時に「うん、うん」とやわらかい空気が流れていました。



 2日間を通して、細々ではあるものの芯は強く確実に、そして熱い努力を続けている同志と触れ合うことができたことが、なによりの収穫でした。
まだまだ道は険しくても、拓いた道は必ず役に立ち、後から来る人が道を拡げていくことでしょう。
かつては田んぼの畦道だったという鹿島街道が、気づけば4車線の幹線道路になり、スタバを招くことができるようになっていたように…